スタッフコラム

故・大島渚監督の新文芸坐への「思い」「願い」

2013/03/01 — 第274号

■世界の映画監督・大島渚が亡くなった。その訃報は、一般社会にも大きな衝撃を与え、世界中の映画人からも悲しみのコメントが送られてきた。■新文芸坐開場の時には、大島監督から次のメッセージが寄せられた。

『日本の夜と霧』(60年)の再上映に始まって、ことあるごとに僕を呼び映画を上映してくれた文芸坐は、日本映画館のなかで一番縁が深かった映画館だ、と言っていい。

ひとつの映画館とこれほど結びつきがあったということは、ひとりの映画人として幸福なことだったと思う。そういう意味で文芸坐はいわば僕の映画の原点であり、また時には、一種、魂のふるさとのようにも感じられたものである。

たんにひとつの映画館というだけでなく、日本映画の礎となって文芸坐は池袋の地にありつづけてほしいと願う。

大島渚

■60年安保闘争を題材にした『日本の夜と霧』は、封切して4日目に起きた浅沼社会党委員長刺殺事件により、突然上映中止になり、大島監督は松竹を退社した。その後、63年に文芸坐で再上映されたことが、大島監督の復活を早める切っ掛けになった。半世紀前の出来事を大島監督が恩義に感じて、文芸坐(新文芸坐)に対する心情が吐露された言葉で光栄に思う。新文芸坐は、世界の映画監督・大島渚の思いと願いを肝に銘じて、邁進していくことを「大喝無量居士」に誓う。合掌。

— 永田稔 検索