スタッフコラム

ドキュメンタリー『成瀬巳喜男 記憶の現場』、初日(7/23)迫る!

2005/07/16 — 第120号

成瀬巳喜男監督はフィルムを無駄にしない。予定の上映時間におおよそ収まるように撮影した。編集で切るところはそんなに多くない。成瀬は自ら編集もしたが、直接フィルムを手でたぐりながら見ていく独特のやり方だった。●成瀬の映画人生は最初から順調だったわけではない。’30年代、松竹蒲田撮影所所長・城戸四郎に「小津は二人はいらない」と言われ、東宝の前身、PCLに移籍することになる。成瀬は’40年代にスランプに陥ったともいわれている。’40年に千葉早智子との結婚が破綻したことが影響してか、孤独な成瀬の姿に、誰ともなく「ヤルセナキオ」と呼ぶようになったという。一般に成瀬の復活は’51年の『めし』とされる。だがこの作品とて千葉泰樹監督の代役だったのだ!(スランプ説に対しては、この頃の多くの作品のプリントが長らく失われていたため、誤った固定観念が定着してしまったという説もある)●成瀬はホンを削る。脚本家が書いた台詞にどんどん線を引き、ホンが最初の半分になってしまったこともあった。成瀬は視線や身振りで表現できることを、口では言わせないのだ。これはサイレント時代から映画を撮っていた監督たちに共通する演出作法ではなかろうか。●『成瀬巳喜男 記憶の現場』は成瀬組に参加したスタッフ、キャストたちへのインタビューを一編の映画にまとめたものだ。映画作家・成瀬巳喜男は、体の隅々まで映画の技術が織り込まれた生粋の映画職人でもあったのだ。そしてさらに撮影の玉井正夫、照明の石井長四郎、美術の中古智といった名人が成瀬を支えた。●日本映画黄金時代の、芳醇な、むせかえるような匂いが蘇える。

— 矢田庸一郎 検索