スタッフコラム
内田吐夢の傑作『血槍富士』がニュープリントで蘇る
2006/09/01 — 第147号
内田吐夢の本名は常次郎。岡山出身、1898年生まれ。二十歳すぎ、横浜のピアノ製作所で働く。その頃、仲間たちから「トム」と呼ばれ、映画に関わるようになり「吐夢」と名乗った。●28歳で日活京都撮影所に入る前、旅芸人の一座に加わったり日雇い人夫をやったり、社会の底辺で生きる体験をする。これが吐夢のリアリズムを形作った。●『競争三日間』(’27)で本格的監督デビュー。名作『土』(’39)などを撮った後、’45年軍の映画を撮るため満州に渡るが映画は頓挫。当地で敗戦を迎える。中国の鉱山で肉体労働をさせられる。’53年にようやく帰国の途に。吐夢、55歳であった。●『血槍富士』(’55)は帰国後第1作。13年のブランクを越えて撮った作品だ。●武士・小十郎と槍持ち・権八(片岡千恵蔵)とお供の源太。3人ののどかな東海道の旅模様。小十郎は若く気立てのいい主人だが、ひとつだけ欠点がある。酒乱なのだ。源太も酒に目がない性質。ふたりは権八が目を離した隙に居酒屋へ。●クライマックスは俄かに訪れる。ふたりは酩酊した武士たちに絡まれ斬り殺される。駆けつける権八、だが時すでに遅し。なんと無残な姿に! 穏やかな男が怒りをあらわにする。造り酒屋の狭い中庭。槍を持って迫る。権八はただの下男。槍を怒りにまかせて振り回す。槍が酒樽を突く。酒がほとばしる。権八と武士が這いずり回り泥だらけになって死闘する。●数多い時代劇の中でも屈指の名場面。脚本家・鈴木尚之の『私説 内田吐夢伝』によると、吐夢が巨匠と言われるようになったのは、この殺陣を撮った翌日からだったという。
— 矢田庸一郎 検索
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