スタッフコラム

[漢字][ひらがな]⇒[カタカナ]⇒[ABC]

2006/05/01 — 第139号

近年、日本映画のタイトルが[カタカナ]で付けられることが多くなったように感じる。先頃、特集上映した『気になる日本映画達〈アイツラ〉2005』は、昨年公開した作品の中からセレクトした28作品であったが、内、約6割に当たる16作品に[カタカナ]が使われていた。外国映画のタイトルも、原題をそのまま[カタカナ]で表した作品が多い。◆身近な生活の中から[漢字][ひらがな]が消えていく傾向にあり、社会全般に外来語、外国語が蔓延している。そんな状況に拍車をかけるように、文部科学省は小学校での英語必須化を推進している。石原都知事は、「人間の感性や情念を養うのは国語力だ。小学生から英語を教えるのはナンセンス」と批判していた。この問題を議論するつもりはないが、[カタカナ][ABC…(アルファベット)]が、今まで以上に日常生活の中に入り込むことは明らかである。◆例えば[日本]⇒[ニッポン]⇒[Japan]は、[東京]⇒[トーキョー]⇒[Tokyo]へと移行していくことは必至である。同じ言葉でも[漢字][ひらがな]と[カタカナ]と[アルファベット]と、表記が違えば視覚から伝わってくるニュアンスは全く違ってくる。[漢字][ひらがな]は、単なる文字としての機能の外に、都知事の言う「感性や情念」のような日本人の複雑で微妙な心情をも包含しているように思う。身近な生活から[漢字][ひらがな]が消えてしまうことは、日本人にとって、何か大切なものを失ってしまうような気がするのだが…。

— 永田稔 検索